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2016年6月22日水曜日

スペイン語学校本日終了!語学教師が語学を習うと・・・④

3か月通ってきたスペイン語学校も、3日間の試験が終わって本日終了。
クラスメートにも恵まれ、とても充実した毎日でした。
今月で終わるのが、私のほかにもう一人います。
だからというわけではないんでしょうけど、最終日に先生がアルファホーレス(alfajores)というペルーのお菓子を作ってきてくれ、韓国人の友だちは試食用にキムチと韓国の伝統的なおやつでご飯をカリカリに焼いて砂糖をまぶしたものを持ってきてくれ、ちょっとしたお茶会になりました。お茶はなかったですが。

最終日は成績をもらった順に解散なので、何人かは成績をもらったら待たずに帰ってしまいましたので人数ちょっと少な目(^^;)一人写真撮ってるし。


さて、今回のクラスでも学びがたくさんありましたので、メモしておきます。

①目的を持った活動を取り入れる
今回のクラスでは、月曜日は週末に見聞きしたニュースを一つ発表、金曜日は「club de libro(クルブ・デ。リブロ/本クラブ)」と言って、何か読み物を読んで発表、という活動が入りました。クラス外で宿題のほかにやることになるので結構負担と言えば負担でしたが、活動の目的がニュースは「自分の言葉で要約して話すこと」、本クラブは「語彙を増やすこと+物語をみんなに言って聞かせること」と言われていたので、これは確かに力になると思い、結構ちゃんとやりました。
授業進度との関係で、結局クラスでちゃんとやったのは本クラブが1回だけ、ニュースは2回だけだったのですが、私はクラスでやるやらない関係なく毎週ちゃんとやって行きましたよ。おかげでちょっとは語彙力伸びたかな??
こうやって活動の目的をきちんと最初に伝えるのって大事だなと思いました。その目標に向かって取り組む人は取り組むので。あと諸々の事情でできない場合、「今週はなし」、と分かるのが遅いほど、やりたくなくてもやってしまう人もいるので、キャンセルはギリギリまで言わないのも作戦としてありですね。ただ、「せっかく準備したのになんだよ~」と不満に思う人もいるかもしれませんので、あまりオススメしませんが。一番いいのはやっぱりちゃんと予定した日にやることです(^^;)

背伸びしないで自分の力に合った読み物は何かと考えたら、子ども向けの絵本でした(笑)。でも絵本、すごくよかったです。短いから短時間で読めるし、絵があるのも助けになります。知らない単語の数も文法もそんなに多くなく、なんとか自力で読めます。
中級の外国語学習者、ネイティブでは子どもレベルです。外国人学習者の知っている単語は、いろんな基礎語彙が抜け落ちていることが多々あります。
逆に、話すレベルが小さい子供以下でも中身はれっきとした大人です。ギャップがあります。教師はよく「初級学習者は子どもみたい」と言って、だから時に子ども扱いして失礼な感じになってしまうことも。言葉の問題がなければしっかり自分の考えがあるし、母語でならそれがスラスラ言える大人であるということを忘れないようにしないといけないな、と。


②授業で扱う内容・進度の調整
今回のクラスは扱う内容にずいぶん偏りがあったように思います。最初は余裕があるためか同じ表現の練習にずいぶん時間を取っていましたが、最後の方に出てきた重要表現は紹介だけで全然練習させてもらえませんでした。
これは事前の授業計画と教案でどうにかなる問題です。特にこの先生のようにニュースと本クラブという教科書から離れた活動を取り入れるならなおさらきちんとしないといけない点です。もちろん授業は生モノですから、いつも計画通りに進むとは限りません。でも、ゆとりを持った計画にして教案がきちんと作ってあれば、どこかで調整ができるはず。思いつき活動をしたりしないはず。全部の学習項目に使う時間をバランスをとってまんべんなくやる方が、練習時間が9と1でガチャガチャになるよりずっといいです。


③時間配分
①や②とも関係してくる内容ですが、今回の先生はいろいろクラスでやりたかったんだと思います。だからなんでも「速かった」です。練習問題をやるにしてもペアやグループで話すにしても、結構短時間で「終わりましたか?」と言って次に進もうとしました。だれも終わっていないのに。学習者は読むのも話すのも書くのも教師が思っている以上に時間がかかるんですね。学習者は間違います。間違うからFBに時間がかかる。遅れを取り戻そうとして、次の説明が早口になる。早口の説明でよくわからないまま、また「じゃあ練習」となるので、また考える時間が長くなるしたくさん間違うからまたFBで時間がかかる・・・予定していたことがごっそり削られる・・・
盛り込みすぎない、というのは大事だと思います。もしくは教案は盛りだくさんな内容でも、時間がないと思ったら全部の練習をやろうとしない、準備したものをばっさり切る勇気も必要だなと。


④パワーポイント使用の良しあし
パワーポイントを使って授業をする先生方も多いと思います。PPTを事前に準備しておけば板書の時間が省けますし、見やすいですし、教案代わりにもなりますし、いいところ満載です。でも、板書の時間が省けたからといって、説明するだけ説明してさっさと次のスライドに行ってしまったら、学習者はコピーすることができません。気づかぬうちに早口になって未消化のままだったりもします。PPTを何に使うかにもよりますが、覚えてほしい表現満載のものだったらせめてプリントアウトしたものを渡すか、ノートテイキングの時間を取るかした方がいいと思いました。写せない、プリントもない、という状態だと、学習者の手元には何も残りません。ノートテイキングでもプリントでもいいので、後で自主学習するときに使うものを学習者の手元に残すべきです。


偉そうに書いてますが、どれもこれも学習者になったから気づけた点で、自分ができているかというとかなりあやしいです(^^;)せっかく得た貴重な気づきやアイデアを今度は自分の授業に生かしたいと思います。

そしてできればこれからも語学の勉強続けたいなあ。




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2016年6月4日土曜日

語学教師が語学を習うと・・・③

3ターム目に突入したスペイン語クラス。
今回は、2番目に習ったクラスから気づいた点を書きとめようと思います。

関連記事→語学教師が語学を習うと・・・①
     語学教師が語学を習うと・・・②

正直、このクラスは個人的にとてもつまらないものでした。いつも時計ばかり見ていましたから。それで、なんでか分析してみました。

①先生が話してばかり
日本の中学・高校時代を思い出すような先生がひたすら説明する授業スタイルでした。先生自身はとても熱心な方だと思うんです。いつも笑顔で感じはいいし、できるだけ学習者がわかりやすいようにとジェスチャーや板書をたくさんしてくれました。
でも、どれだけ熱心に説明を受けても、ジェスチャーや説明が意味不明なままだと何度聞いても意味不明だし、なんでもかんでも板書すればいいってもんでもないです。とにかくなんでも板書を写そうとするタイプの学習者はコピーするのに必死で、大切な話を聞き逃す可能性がありますから。それにそれを使った口頭練習の時間がほとんどなく、口を開くチャンスは先生に指名されたときぐらい。教科書の練習問題を書き、その答え合わせ、一人が間違えたらそのFBを全員にするという、非常に受け身の授業で眠くなりました。

②話好きな学習者をコントロールできない
先程、口を開くチャンスは先生に指名された時ぐらい、と書きましたが、中にはそれには関係なく自由な学習者もいました。考えていることが口から出てしまうタイプ。他の人の答える番でも構わず答え、好きな時に好きな話を延々し、先生がそれに付き合ってしまうのです。その話に加わる他の学習者がいれば、授業はさらに脱線していきます。その内容に興味がある人もいれば、興味がない人もいます。多少ならいいですが、それで授業進度が狂って宿題が増える、ということがしばしばありました。クラスコントロールは確かに難しいです。でも、それも教師の仕事の一つ。
(関連記事→自由で元気な学習者ばかりのクラスは、楽しいけどコントロールが大変)

③宿題が多い
はっきり言って、負担でした。次の日の授業はその答え合わせでほぼ終わりです。答え合わせだけなら解答もらえれば自分でできちゃいます。やっぱり授業には、「そこでしかできない何か」が求められるかな、と。

見習う点もありました。

④いつもニコニコ、学習者の発言を否定しない
間違った答えだろうが、関係ないことだろうが、とにかくなんでも「OK~」と一旦は受け入れてくれました。そしてその後やわらかく直します。この「一旦受け入れる、否定しない」というのは普段の人間関係にも適用できますよね。私はすぐに「No-!」と言ってしまう方なので、これは心して矯正したい点の一つです。


現在はまた別の先生に習っています。
ホント、授業は先生の個性が出ますね。そして先生の数だけ教え方もスタイルも違う。学習者によっても好きなスタイルも嫌いなスタイルも違います。なので私が好きまたは嫌いな授業スタイルでも、他の人にもそうだとは限りません。だから、私がここで書いているのはあくまで私の個人的な感想でしかありません。
ということは、私は私が習ってみたい、私が個人的に好きな教師像を追っている、ということになるんでしょうね。
「万人から好かれる教師になるのは不可能」という、昔先輩から言われた言葉を思い出しましたが、それは真実だと思います。






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2016年5月25日水曜日

これまでと、これから

最近ブログをお休みしていました。すみません。
今日でペルーに来て1年がたちました。


私のこれまで歩いて来た道。私のこれまでの人生。
決して順風満帆というわけではなく、履歴書書くのにいつも苦労する紆余曲折満載の人生です。
学校→働く→お金を貯める→学校→働く→お金を貯める→学校→働く・・・というサイクル。
最初に就職したのは全く異分野の技術系。その後OLも数年やり、転職して日本語教師になりました。
日本語教師になってからも、たぶん他の人だったら即やめてしまうようなパワハラ、サービス残業満載の職場で、忍耐に忍耐を重ねて、できるかぎりの経験を積みました。ここでの経験があるから、その後どんな職場に行っても「あのときよりはまし」と思えるようになりました。
はたらく場所も日本⇔海外を行ったり来たり。住む場所も数年ごとに変わっている遊牧民です。

賢くて器用な生き方とはとても言えない人生だけど、その都度自分で考えて、選んで、ステップアップのために自己投資して、「今ここ」にたどり着きました。

いつも何か目標があって、遠い遠い未来の何かを目指して、階段を上がってきたような気がします。その目標がなんなのかイマイチ自分でも分かりませんが、とにかく日本語教師になってからこれまで、飽きっぽくて長続きしない私が、飽きるどころか苦しみながらも楽しく仕事をしてこられました。

そうやってちょっと過去を振り返り、自分の歩いて来た道を見、それから未来を見たとき、今のままじゃいけないな、と。


で、私、ペルーを去ることにしました。
7月に帰国します。


ペルーに来て、これまで私が培ってきたもの、追い求めてきたもの、大切にしてきたもの、そしてこれから大切にしていきたいものがわかったような気がします。そういう「過去を見て、未来を見る」チャンスをくれたのがペルーでした。なので、ここに来たのはそういう気づきを私に与えるための必然のことだったのだと思います。

正直、ペルーにはずーっといるつもりでしたから、その先のことなど考えていなかったので、「これから私、どうなっちゃうんだろう?」と不安もあります。
でも、将来が見えないで歩いてきたのはいつものこと。人生なるようになるんですよね。

あと2か月は、ペルーでの生活を楽しみ、引っ越しに備えて荷物を断捨離し、次なるステップに進むための準備に充てたいと思います。

このブログ「さすらい生活 in ペルー」も数か月で終わりですが、本家ブログ「世界をさすらう日本語教師の日々」に記事を移す予定ですし、またブログタイトルを変えて登場するかもしれません。
なので、最後までお付き合いいただければと思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。







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2016年4月23日土曜日

語学教師が語学を習うと・・・②

1か月スペイン語を習ってみて、文字通り学習者視点で語学学習やクラス活動を見ることができ、本当に学びが多いです。
今回の先生&授業からも、たくさんの学びと気づきがありましたので、記録しておきます。
(関連記事→語学教師が語学を習うと・・・①)

まず、クラスに通い始めたころの印象にも書きましたが、(詳しくはこちら)私はこのクラスにとても満足していて、それは最後までずっと変わりませんでした。
クラスを楽しむには、自分にちょっと余裕があるぐらいの方がいいような気がします。

それから細かい点で気づいたこと

①宿題の量とFB
学習者は語学のみを勉強しているわけではなく、ほかにもいろいろやっています。仕事、子育て、家事、学生であっても他の教科や習い事など。ですから、宿題が多すぎるとズバリ負担です。多いなら提出までに時間があるといいです。
それから、宿題をやっていてちょっと自分の答えに自信がなかったり分からなかったり疑問があったとき、「答え合わせのときに先生に聞こう」と思いました。だから遅刻して答え合わせの時間にいなかったりすると質問のチャンスがふいになってしまいますし、分かりやすい説明で理解が深まりました。なので、答え合わせや宿題のチェックの時間は学習者の疑問解消のためにも必要だと思いました。特に自分で答え合わせができる宿題とかですと、その時間を取らない先生も見かけますが、そんなときにも一言質問があるかどうかだけでも聞くといいなと思いました。

②教師の存在感
これはない方がいいです。今回のクラスの先生は、基本的な説明をした後はひたすら活動の時間を取ってくれました。これぞ学習者中心、先生は脇役。活動の中で疑問が出てきたときなど必要があれば先生を呼びましたし、見まわって言い方がおかしい時などはその場で直してくれました。「ああ、そういうのか」と思いましたね。本当はここですかさずメモを取っておくのがいいです。話しているときはそれに夢中であとで忘れて「なんて言ったっけ?」となることもありました。新しい単語なら板書してもらうとメモしやすいし、間違った表記で書くこともないです。

③ノートテイキングの時間
これはあったほうがいいです。今はPPTを使って授業されている先生も多いと思いますが、それが教科書になかったり、上手にまとめてあるものですと、学習者としてはそれをコピーしておきたくなります。板書の場合も同じです。写真をとる学習者もいますが、それでもいいので、説明が終わったからといってさっさと次に進まずにちょっと時間をとるといいです。結局そこがきちんと理解されないままですと、その後の活動もうまくいかないので。

④テスト勉強
やっぱり学習者としては合格したいので多少なりとも勉強します。普段の宿題や学校で習ったことの総復習です。どの程度やるかは個人差があると思いますが、これで理解が深まるのは確実です。意外ですが、私個人としては、テスト直前の全体に向けての復習はそんなに必要じゃないかも。勉強していればすでに自分の中で落ちているので。それよりは復習の時間を取ってくれた方が、個人個人がもう一度チェックしたいところを見ることができるので、こちらの方が有効です。
それから、よく「緊張した」という学習者の声を聞くことがあったのですが、これは本当にそうだと思いました。私も緊張しましたから(^^;)課テストですらそうなのですから、これが学校の中間・期末とかですとなおさらだと思います。テスト前は特に、学習者は緊張状態にありますので、教師の声掛け・発言の内容には気をつけなきゃな、と思いました。

⑤覚えることの大変さ
単語を覚えたり活用を覚えたり、地味な作業が語学の基本。でもこれがなかなか覚えられなかったりして、学習者は自分で自分をダメ人間呼ばわりしてしまうことも。口がうまく回らなくて、みじめな思いをすることも。例えそれが自分の勉強不足であったとしても、必死に頑張っているのに覚えが悪い(ワーキングメモリの問題)のだとしても、クラスで自分より上手にできる人を見ると、なんとも情けない気分になり自信を失ってしまいます。そこで反省して真面目にがんばるか、そのまま「どうせできない」となげやりになってしまうかは個人差がありますが、できないことを一番わかっているのは学習者本人です。
そして一度覚えても、やっぱり時間がたつと忘れてしまいます。それはもう情けなくなるくらい。何度も何度も同じものを目にすること、そして使うことでやっと記憶に定着します。個人差もありますが、それには長い時間がかかります。使い続けること、何度も触れること、つまり反復練習がとても大切で、結局は近道。

⑥知っていることと使えることは違う(脳内処理)
知っているはずなのに会話する時とっさに出てきません。ある程度語彙や文法知識があるとなおさらです。どれを使っていいのか、とっさに判断できないことがままあります。そこに気を取られているとほかのところで抜けがあったり。これは本当に違う能力です。言語は変形するパズル。このスピードを速めるためには、やっぱり「慣れ」、つまり、何度も練習するしかありません。脳の引き出しからさっと取り出して形を変えて送り出す一連の脳内処理の速度を速める、パイプを太くする練習が必要。とにかく口を速く動かす練習も必要。
先生は口を早く動かす練習として、「20秒でどこまで言えるか」という練習を取り入れていました。発音や正確さは一切気にせず、書いてある文章をできるだけ速く音読するのです。1回目より2回目、2回目より3回目、少しですが前回より長く文章が言えるようになっていました。これは日本語の授業でも使えそう。

⑦文字と音のつながり
私の場合、自分でも他の人でも音読しているときはひたすら字を追って内容は頭に入りません。黙読して初めて内容がわかります。もちろん音読と同時に理解できる人もいますが、私はそれが苦手なタイプのようです。音読と黙読、それぞれ使っている脳が違うということ。
聴解も同じ。音にすると分からなくても、文字で読めば「ああ~」ということも。発表の時に文字と音が合っていれば分かりやすかったですが、違うと混乱しました。文字と音をつなげて、一気に処理できる情報を増やしたいものです。

⑧先生の苦労は見えない
これは学習者視点ではまったく見えないし、重要でもありません、残念ながら。学習者は出てきたものだけを見ていますし、授業が楽しくて役に立てばなんでもいいです。テストの内容も「ふーん」ぐらいなものですし、できれば易しい方がいい(笑)
以前働いていた職場で、大切な試験の前に、成績下位の学習者を心配して苦労して作成した自作課題をあげたのにそれをやってこなかったことがあります。私が上司に報告して「こっちはこんなに苦労して、こんなに心配してるのに」と言ったとき、上司に「それは学習者には関係ないことだ」と言われたことがありますが、今回、本当にそうだと思いました。学習者からしてみれば、また宿題が増えてめんどうくさい、ぐらいのものでしかなかったのです。
今回も先生は曲から教材を作ったり、ビデオから教材を作ったり、もちろんいろんな資料をくれたりしました。同じ教師目線で見れば、文法の練習に適したものを探すのから始まって、文字おこししたりこれだけの教材を作ったりするのは相当大変だったろうな、とその苦労が分かりますが、学習者目線でみれば、教科書もそれも同じ「教材」でしかありません。ま、教科書をひたすら読んで答えるよりは音楽やビデオの方がちょっと楽しいって思うぐらい(笑)。
だから、授業準備や教材作成、テスト準備にいくら時間をかけても、いくらこだわって労力をかけても、会議で度重なる話し合いの末にようやく決まったことでも、学習者に「その苦労を分かって!」というのは、実は教師のエゴなのかもしれません。


随分長くなってしまいましたが、学習者の立場になってみて、本当に多くの気づきがありました。
私個人の語学能力の特徴もずいぶんわかりましたし、個人個人の能力が本当に違うこと、学習するスピードも、得意なことも違うことがよくわかりました。
そして先生の役割やふるまいも、学習者目線から「こうだといいな」というものが見えました。あくまで私が「いいな」と思う教師像でしかないのですが、よりよくなるための大きいヒントがもらえました。
これからも「学習者目線で授業を見れる教師」を目指してがんばります。





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2016年4月11日月曜日

引っ越し荷物で気づいたこと

そうそう、今回引っ越したことで、自分の荷物がどれだけ多いか実感が持てました。
ちなみに今回の引っ越しでは全部の荷物を持ってきたわけではなく、当面必要のない物(冬服など)は置いてきてます。
それでも持ってきた荷物はスーツケース一つに納まりきれないほど。

中でも多かったのが服と食べ物。

服は夏服中心なのですが、特にパンツが多い!
仕事用と普段着用、夏用などけっこうありました。しかも重い!
あと、キャミソール、タンクトップ、インナーなども結構ありました。こんなにいらないかも。

食べ物は日本から持ってきたものが中心なのでこれから消費する予定ですが、気づいたら「日本食は貴重だから開けるのもったいない」とこれまであまり食べていませんでした。そしてよく見たら賞味期限切れているのやぎりぎりのものなど結構ありました。
食べ物ですから、いつまでも保存できるわけじゃないのに、「もったいないお化け」にとりつかれて宝の持ち腐れになっていました。おいしいうちに食べないと、それこそもったいない。これから着々と消費しようと思います。

そして「引っ越したら使うはず」と思って随分前に買っておいた物も、改めて見ると「やっぱりこれ要らなかったかも」というようなものが結構あって、反省しています。
脳内で未来を予想で「使うかも」ではなくて「必要になったから買う」という事実ありきで調達した方が無駄が少ないで済むかもです。もう遅いですが、一つ学んだということで。

ここにいる間も物をためこまないように(すでに惣菜持ち帰りタッパーなどが増加してます)気をつけ、使える物や消費できるものは使い、手放せるものは手放そうと思います。





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2016年4月6日水曜日

ツライ時期は竹になったつもりでやり過ごす

ちょっと最近メンタル的に落ちている時期になっています。

原因はわかっていて、あまり考えないように、ピントを合わせないようにしてきたのですが、それも限界のようです。捨てたと思っていたものが、実は捨てられていなくてたまっていて、それが納まりきれなくなって、溢れ出て来た感じ。 最初は抵抗していたのですが、とうとうその状態を、感情を、勇気を出して受け入れました。
強風の中必死で立っていようとする木であることをやめて、強風に身を任せてやり過ごす竹のように。

・・・とは頭では分かっていても、実践するとなるとやっぱり難しいですね。

認めてもらった感情は、消滅するどころか、さらに勢力を増して台風並みに勢いづいています。
はじめはどこまでも落ちて行きました。
世界はこんなに暗かったっけ?空気ってこんなに重くて息苦しかったっけ?って感じるぐらい。
考えることはネガティブだらけだし、笑うことさえ難しい。

でも、そんなのも全部OKして身を任せ、思う存分ネガティブなことを考え続けましたし、無理してまで笑いませんでした。
ツライ気持ちを「そうだね、ツライね。今ツライと感じているね。」と認めてあげました。
「誰か助けて!」と心で叫んでいたので、今の思いを信頼している人に吐き出しました。

ここまでしたら、ようやく少しどん底から上に上がれました。

あとはじっと、竹になって状況が変わるのを待つのみ。
自然と浮き上がれるのを待つのみ。







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2016年3月27日日曜日

気づいてしまった気持ち

ずーっとなんかモヤモヤしてすっきりしなかったことが、何かふとしたきっかけではっきり見えることってありますよね。バラバラの複数の点が線でつながるというか、視界が開けるというか。
誰かと話しているうちに、考えが整理されて気づいたり、前ばかり見て歩いていたら気づかなくても後ろを振り返ったり足元を確認したりしてからまた前を見たときに気づいたり、そのことをすっかり忘れて全然関係ないことしているときに気づいたり。

人は自分の本当の気持ちすらなかなかはっきり見えないもの。
自分のことなんだからわかっているつもりでも、自分の本当の気持ちってなかなか見えづらい。
いろーんなベールがかかっていたり、わざと見てるポイントをずらしていたり、ピンボケ写真みたいに何だかボヤ~っとさせてみたり。自分で自分の気持ちに嘘ついてる。
まあ、それをしているのもまた自分自身なんですけれど。

私、気づいてしまいました。自分の本当の気持ち。
気づかないようにさせていた自分が守りたかったものが何なのかも分かりました。

だから、気づいたときは、ちょっとショックでした。
でもやはりどこかでは薄々気づいていたのかもしれませんね。
状況は常に変化していますから、もしかしたらまた気持ちが変わるかもしれませんし、やっぱり変わらないかもしれません。
もし変わらなかったときは、座右の銘「死ぬとき後悔しないように生きる」ためにはどうするのが一番いいか、よく考えてみようと思います。
本当の気持ちのまま生きられたら、それが一番幸せなことだと思うので。

今日は抽象的で何言っているのかわかりにくい内容になってしまいました。
読んでくださって、ありがとうございます。







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2016年3月16日水曜日

ペルー人は「生きている」

なんか変なタイトルですが(^^;)

最近普段お会いしない方々とお話しする機会がありまして、そのお話を聞いて、なんかしっくりきたんです。

ある方は「ペルーの食べ物は生きている。死んだ食べ物じゃなくて、生きた食べ物だ」とおっしゃっていました。確かに日本を含め先進国では加工食品が流通しています。おかげで時短できて手軽に安価に食べられるようになりましたが、栄養素はいかほどなんでしょうかね。
ペルーでももちろん加工食品が流通しているし、ファストフードやドーナツの店などもたくさんあります。が、日本や先進国のそれに比べたら、「食材から作る」ことが多いかもしれません。アイス屋さんは果物から作ったジェラートを売る店が主流だし、チェーン店でも食材はメルカドで仕入れてその店で作るのがふつう。

だからでしょうかね。ペルー人はとてもエネルギッシュ!
なんか「生きている」んです。

別のある方が言っていました。「無駄だとわかっているのに、わざわざクラクション鳴らしたり文句言ったりする。・・・ぶつかってきても大して気にしないし、逆にぶつかられても気にしない。なんでも受け入れる」

私ならエネルギーセーブするところ(例えば、文句言っても結果が変わらないなら諦めて何も言わない)を、ペルー人は分かっていても文句言います。

なんというか、ペルー人て、本能に忠実。がまんしない。

スタイル気にするより、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べる。
他人の目(迷惑)気にしないで、好きに行動する。(だから道の真ん中で普通に人や車が止まる。急な進路変更当たり前)
約束しても自分の都合が悪くなったら連絡なしでドタキャンする。そして後日約束なしで平気で現れたりする。もちろん先日のドタキャンは忘れているか、言い訳する。
お金がなかったらなんでもする。仕事を選んだりしない。

そう、彼らはとても人間くさい。「生きてる」んです!

生きた食べ物を食べているから彼らがこんなにアクティブなのか、そこのところはわかりませんが、関係なくはないと思います。
これに思い当たってからは、最近ペルー人に疲れ、モヤモヤしていた何かが、パァー☆っと晴れました。正直今までネガティブな印象だったんですが、私も彼らを「これがペルー人」と「受け入れる」ことができるようになったんです。

なんというか、気づいてはいたはずなんですが、見ないようにしていたというか、焦点がずれていたというか。
私の中の何かがブロックをかけていたのかもしれませんね~。

知人たちから「見る視点によって同じことでも違う側面が見える」ということを学びました。

ありがとう☆







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2016年3月14日月曜日

最後の祖父の旅立ち

メールを開けたら母から「じーちゃんが亡くなった」との連絡が来ていました。
母方の祖父ですから、一緒に住んだことはなく実際前最後に会ったのもいつだったか思い出せないほど。
母にとってはそれはもう怖くて怖くて、できるだけ近づきたくないお父さんだったようなんですが、さすがに晩年はわだかまりもとけてよく様子を見に行っていたようです。最期は子どもたちに見守られながら眠るようにして逝ったそうです。93歳。大往生。

とうとう4人いた祖父母がみんないなくなりました。
私は子供の時父方の祖父母と一緒に暮らしていました。
じーちゃんばーちゃんて、孫からしてみたら手放しで甘えさせてくれる存在で、親に叱られたとき逃げこめる場所で、ワガママ言いたい放題、でもいくつになっても気にしてくれてて、今思えばとても有り難い存在だったな、と。

よく孝行は生きているうちにしかできない。と言いますが、私は祖父母にはなーんにも孝行とか恩返しとかできませんでした。
だからやっぱり最低限親には孝行したいと思ってしまいます。遠くにいて、何ができるだろ?

少しずつ老衰で弱っていく祖父を見て母が言っていたのは「死ぬ準備ができている」ということ。
病気と違って、どんな治療をしようとも回復はあり得ない。これが天寿を全うするってことね、と。だから母も穏やかに心の準備をする余裕があったのでしょう。

一日終えるということは一日死に近づいたということ。病気、事故、災害などで寿命まで生きられない人もたくさんいます。
改めて、一日一日をちゃんとかみしめて生きようと思いました。

なんだかまとまりのない内容になってしまいました(^_^;)

余談ですが、私は孫なのにお葬式に出席できないので、せめてお花を…と母に言ったら、もう妹弟がやってくれているとのこと。頼もしい妹弟に感謝です。







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2016年3月11日金曜日

「あの日」とその後の日々から学んだこと

東日本大震災から今日で5年経ちました。

正直普段は記憶から薄れてしまっている時もあります。

でも、ペルーも地震がある国なので、時折夜などに「ゴー」という地の底から響いてくるような音を感じたら最後、もう心臓バクバク、目はパッチリ、地響きの正体がわかるまで神経が音に集中してしまいます。

若干トラウマです。
そんな時は否が応でもあの時のことを思い出しています。妹夫妻の住むアパートで、腕には生まれたばかりの姪っ子を抱き、落ちてくるものをどうすことも歩くこともできずにテーブルの下に潜って、いつまでもおさまらない揺れにどうすることもできずに、ひたすら過ぎるのを待つだけ…。

私ですらこんな状態なのに、東北の皆さんの心中はいかばかりか想像すらできません。
その後の津波、福島原発爆発…。
本当にたくさんの被害、犠牲者が出ました。

東北のみなさま、被災者のみなさま、大切な人を亡くされたみなさまからしたら、私の体験なんて全然大したことないですが、それでも私にとって非常に重大な経験となりました。
自分の経験からしかモノゴトが言えないので、今日はあの経験から私なりに学んだことを書き記しておきたいと思います。


「あの日」とその後が私に教えてくれたこと

私は生かされた、ということ。
生かされた人には、その人生を一生懸命生きる責任があるということ。
死んでいい命などないということ。
人の心の傷はなかなか癒えないということ。
いざという時の備えをしておくこと。
自然をなめたらあかん、ということ。
地震大国日本で原発はいかん、ということ。
復興支援はもちろん、寄付やボランティアするにもお金は必要だということ。
無力な自分を知ったこと。
非常時にこそ、その人の本当の品格が出るということ。
少ないもので暮らすのも悪くないということ。
当たり前な毎日は、当たり前じゃない奇跡の連続だということ。
人は弱く、人は強いということ。


他にもたくさんの学びがありました。
「あの日」とその後の日々から学んだこと、考えたこと、忘れずに行動に移していきたいと今日改めて思いました。

生きたいのに生きれなかった人の分まで、生かされたこの命で、死ぬまで「生きよう」と思います。








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2016年3月6日日曜日

鎧の下の等身大の自分

最近気づきがありました。

小さくて弱い人ほど、何かちょっとでも自信があるもので自分を大きく見せようとします。あるいは、立派なことや言い訳を言おうとします。その鎧をつけることで、小さくて弱い自分を守るのです。

私はこんなすごいステータスがある(あった)
私はこんなに稼いでいる(いた)
私はこんなすごいことをしている(したことがある)
私はこんなすごい人と結婚、交流がある(あった)
私はみんなが持っていないモノを持っている(持っていた)
私は世間的に有名な○○とつながりがある(あった)
私は外見的にすぐれている(いた)
自分が正しい


でも、それは小さくて弱い自分を隠そうとする、あるいは守ろうとするための鎧であることは周囲にはバレバレ。
鎧を着ることで「すごいね」とかの賞賛の言葉をもらい、それでなんとか自分の存在意義を、プライドを守ろうとしているのです。
でも周囲は、とっくにその人の本当の大きさを知っているのです。
バレていないと思っているのは実は本人だけだったりします。

でも、本人は、自分が鎧をつけていることにすら気づいてない場合があるのです。
等身大の自分を見たくない。認めたくない。
鏡に映るのは「鎧をつけている自分」ですから、それが本当の姿だと思いたいのです。
だって、等身大の自分は

できないことだらけ
コンプレックスだらけ
欠点だらけ
実は大したことない

んですから。

逆もあります。
「能ある鷹は爪を隠す」じゃないですけど、実はすんごい人なのに、その大きさを隠すためにあえて鎧をつけて隠している人もいます。そういう人は人にひけらかしたり自慢したり偉そうにしたりしません。むしろ控えめ、謙虚、低姿勢です。でも、どうしても鎧の隙間からオーラが漏れてしまうんですけどね。

まずは鎧をつけていることに気づくことから。
つぎに鎧の中の等身大の自分を素直にみとめましょう。客観的にです。
「ああ、これが自分なんだ。こんなもんか。」と。
素直に認めて受け入れてあげることができたら、下手なプライドはすぐに消えてなくなります。
存在を認められ、邪魔なプライドもなくなれば、あとは小さくて弱い自分も成長できます。
成長できれば鎧を脱ぐ準備ができます。
始めは怖いけど、一つ一つ玉ねぎの皮をむくように鎧を脱いで、いつかすっかり鎧を脱いだ自分が表に出せるように。

そしていつか、鎧以上の器の大きな自分になりたいものです。








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2016年3月2日水曜日

ヨガの先生が退職されました。

昨年中、月・水・金にパワーヨガのクラスをとっていました。
今年に入ってからは月・水・金は午前のクラスが入ってしまったため、そのヨガのクラスにはずっと参加しておりませんで、でも来週から午前クラスがなくなるので、またその先生のクラスに行けると内心楽しみにしていました。

でも今日、イエンガーヨガのクラスに行ったら、その先生が昨日(つまり2月一杯)でお辞めになった、と知らされました。

けっこうショックでしたね~(;_;)

イエンガーヨガのP先生とそのパワーヨガのK先生は、私の大のお気に入りの尊敬する先生で、お二人と共演したことは今でも私の心の宝物、記念になっています。
(関連記事→ヨガ 憧れの先生方と夢の共演!)

先生の授業を受けて、自分の仕事を振り返り、いろいろ考えさせられたこともしばしばありました。

振り返れば、先生からものすごく影響を受けていました。


P先生がK先生が生徒たちに当てたメッセージを読んでくださいました。

それによると、私たちは同じヨガの道(camino de yoga)を進んでいるのだから、続けていればきっとまたいつかどこかで会うこともあるだろう。これからも自分は自分のヨガの道を突き進んでいくつもりだから、みんなも自分の道を進め、と、そんな内容だったと思います。

たしかに、みんなヨガに興味を持ち、ヨガを通じて知り合いました。
先生がこのスタジオを辞めると決断されたのも、きっと人生の流れ。
流れに身をゆだねて運ばれていくその先で、また会えるんでしょうかね。
ヨガを極めれば(物理的にじゃなく)会えるのかな?

そんなことを考えていたら、タイミングよくP先生
「ヨガの道にゴールはないからね~。いつまでも終わりがない」とおっしゃいました。
極めるなんて、たしかにありえないですね(^^;)
(先生、私の心の声が聞こえたの??)

先生のこの執着しないで流れていく感じもまたヨガっぽい。
私はめったに出会えない素晴らしい先生に出会えたものだから、執着していたのかもしれません。
ヨガとは自分の内面を旅すること。だから、結局は自分一人で旅するしかない。
先生ですら私と一緒に旅できない。ガイドにはなってくれるけれども。
一人で旅しなくちゃいけないとわかってはいるけれども、私にはまだまだガイドが必要、先生が必要だったんです。
私にはまだP先生がそばにいて指導してくれるのでよかったですが、少しずつ自分一人でも歩き出せるように心身を鍛えようと思います。



先生がお辞めになったのはとても寂しいことなんですが、でもそれは同時に月・水・金の朝に先生のクラスがない、その時間にどうしても行く必要がなくなった、つまりはスペイン語の勉強にあてろ、という流れなのかな、とも感じました。
ちょうど新学期も始まる時期。
以前週3日でスペイン語授業が開かれているとみつけたLicardo Palma大学に再度問い合わせをしました。

先生が去ることで新たに生まれた流れ。変化。
さて、宇宙は私にどうしろと言っているんでしょうかね。。。








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2016年2月28日日曜日

ながら食べをやめてみました

最近

ゴハンを食べるときは、他のことをしない。一所懸命食べる。

ということを心がけてするようにしています。


今まで、「ながら食べ」が多かったことにあるときふと気づきました。
新聞を読みながら、ネットやメールやテレビを見ながら、何か考え事をしながら、仕事をしながら、そして話しながら・・・。

これだと、目の前の食べ物に全然意識が向いていません。
意識が向いていないと、いくらおいしい物を食べていても、その味とか見た目とかが堪能できず、ゴハンを食べることから得られるエネルギーが減ってしまっているのではないかと。
それはつまり、ご飯を食べてはいますが、心は満たされず、食べ物に感謝の心も持たず、ただおなかを満たすだけになってしまっているのではないかと。
それって、なんだかもったいないですよね。

で、ご飯を食べるとき、何もしないようにしたら、なんと、ごはんのおいしさが全然違うんです。
素材の味がしっかりわかるといいますか、味付けも味わい深いといいますか。
そうすると濃い味付けは必要なくなります。素材の味を楽しみたいのでだんだん薄味になり、健康にもいいです。
時には目をつぶって、舌でしっかり味わい、鼻から通る香りも味わい、味覚と嗅覚が鍛えられます。

目を開けて食べると、色味が気になります。彩り豊かな時は、美しい物を見ている感覚。
もちろんちゃんと見ていますから、こぼしたりも少なく、食べ方もきれいになります。

そして一口一口を楽しんでいるので、自然とよく噛んでいることに気がつきました。

五感を使って食事をした後は、おなかだけでなく、心も感覚も満たされています。
とっても満足感が高くて「おいしかった~(≧∇≦)!幸せ~♡」って気持ちになれます。

他の人と一緒に食事をすることがあると思うんですが、そういうときもできるだけそこにあるお料理や食材の話をすると、みんなで食事から得られる満足感が共有できるのでおすすめです。

「今、ここ」に集中するご飯の食べ方、とっても幸せな気持ちになれてオススメですので、みなさんもぜひ試してみてくださいね☆

2016年1月24日日曜日

大きな成功、細部に宿る~日本一のエンターテイナーから学んだこと

最近の大きな話題と言えばSMAPの解散危機報道。
1月18日の生放送をネットで見てどうも解散はしないらしいと知るまで、毎日「どうなるんだろうね?」と友人と話していました。
熱烈なSMAPファンというわけではありませんが、彼らの番組はそれなりに見てました。
わりと同年代なので、彼らの活躍する姿(個人でもグループでも)に元気をもらっていました。

そして休みの今日、きっと解散を回避するためにファンがアップしたのであろういろんな映像やインタビューをゆっくり見ることができて、あらためて彼らのやってきたことはすごいな~と。
一人一人が「世界に一つだけの花」を見事に咲かせているし、もちろん5人集まってもすばらしい。
見えるところだけでもすごいのに、一流エンターテイナー、やっぱ見えないところでも一流。
今日初めて中居くんがライブのプロデュース(振りや音作り)を長いこと一人でやってきたということを知りました。
彼のライブやテレビに対する想いやこだわりを知って、心に響いたことがたくさんあったので、備忘録として書き記しておきます。
これ、ライブ・本番→授業、お客さん・みなさん→学習者、というように、自分の仕事に置き換えて言い換えてみると、本当に身が引き締まります。

・(中居君は)他のメンバーに見えないところで、何年も一人で(ライブの曲作りを)やっていた。
・ライブは結果。本番がよければその過程は正直どうでもいい。お客さんには関係ないことだから、別に明かすようなことでもない。
・ライブには正解がない。だからすっごい考える。
・ライブは、できるまでが好き。つらいけど。
・すべてはお客さんに喜んでもらうために。
・ハンパなモノを作ってもハンパなモノしか残らないのならば、なにかみなさんの記憶に残るモノを。ちょっと限界に挑戦しよっかと。
・自分にはどれだけのハングリー精神があるのか、ちょっと自分で自分を試したくなった。
・基本は自分たちが楽しいとか楽しみたいとか自分たちが面白いもの、というよりも、とにかく見ている人が「やっぱ面白いな」って思ってもらえるようなもの
・このままステージでぶっ倒れたら、これ本望かもって一瞬頭よぎった。
・いいモノ作ろうと思うと、もう本当にキリがない。
・自分はそう思ってないけど、周りみんなが「細かい」って。一秒差にこだわるのは、やっぱ細かいかな。
・見返りとか評価とか手柄とかばっかりを追い求めていたら絶対足並みがそろわなくなるから、私利私欲なく、とにかくいいモノ作るためにがんばりましょうと。
・「大きな成功、細部に宿る」。とにかく細かいところまで詰めてやる。細かいところができなくて全部がざっくりになっちゃうと、どうしてもゆがんでしまうから、やるにはしっかり根拠がないとおかしいわけで。根拠が濁るということは結果も濁って、結果が濁るということは全体的に全部フォーカスがぶれてしまう。だから細かい根拠と説得力がある理由というのが1個1個大事になる。


中居君のすごいところは、マルチタレントですごい努力も苦労もしているのに、それを決してひけらかさないこと、そして他のメンバーや「SMAP」を心から尊敬していること、そして謙虚なこと。

私も「大きな成功、細部に宿る」を胸に、謙虚さを忘れずに、自分の仕事一つ一つに丁寧に取り組んでいきたいと思いました。






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2016年1月17日日曜日

torus~宇宙の法則

友人から教えてもらった「THRIVE」というドキュメンタリーを見ました。

Youtubeにてご覧になれます→THRIVE(日本語)

その中で紹介されていたTorusというエネルギーの流れ。
自然界のものは、小さなものでいえば私たちのDNAから果は宇宙まで、すべてこのTorusでできているそうです。
Torusの原理を使えばフリーエネルギーも実現可能だそう。
内容については、賛否両論あるようなのですが、私はこのTorusの話を聞いて、ヨガの教えがとても腑に落ちたというか。

ヨガではブラーマン(外にある神、宇宙)と、アートマン(自分の内にいる神、ハイヤーセルフ、本当の自分)は一つだ、という考え方をします。
どうにもそこがイマイチぴんと来なかった、というか、随分スピリチュアルな考え方だな、と思っていたのですが、自然界のありとあらゆるものは同じエネルギ-の流れの構造、つまりtorusでできているということがわかってから、「だから同じなのか~」と納得することができました。
だからヨガや瞑想で宇宙からエネルギーをいただくことができるわけなんですね。
だから食べ物からもエネルギーをいただくことができるわけなんですね。
以前の記事「何かが大きく変わる予感」の答えなのかもしれません。

一部の人たちは自分たちの地位や権力を守るため、それを失う恐怖からこのTorusを必死で隠し、今の社会・経済の仕組みを作り上げてきましたが、もうそろそろ限界に来ています。
やっぱり人が自然に反して作り上げたものは「不自然」なので、いつか宇宙の大きな力の前ではうまく機能しなくなるのです。

これだけ読んだらなんのことだかわからないと思いますが、とにかく私は腑に落ちた、全てを受け入れる準備ができた、ということを書いておきたかったので。
興味ある方、「THRIVE」をご覧ください。





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2016年1月10日日曜日

比べて気付く、自分にとって大切なもの。

そばにあるのが、いつもあるのが普通で、その存在が自分にとってどれほどのものかわからないものって、結構ありますよね。
それがなくなったり、他と比べてみたりして、それがいかに大切だったか気づく、というか。

たとえば、海外に住み始めてから、日本がどれほどすばらしい国か、気付けました。
なんだかんだ言ってやっぱり安全ですし、品質がいいものが安く売られ、キラキラしています。
日本食は健康的だし、皆保険制度でみんなが安く医療が受けられるし、だれでも子どもに最低限の教育を受けさせることが出来ます。

家族と離れて暮らして、そのありがたみをかみしめています。
どれほどの支え、癒し、希望になっているかわかりません。

例えば友人や同僚や恋人。いつも一緒にいるのが当たり前になっている関係も、その人がいなくなったり、他の人の登場で、その人の素晴らしさや自分にとっていかに大切な人だったか、いかにしっくりきていたかがわかる、といいますか。

することもそうです。

ヨガができない状態になってはじめて、自分の心身にとってなくてはならないものだと気付くことができました。
それに気づけてから、朝早起きしたり、夜遅く帰っても寝る前の時間を利用したりして、時間を作ってヨガをしています。

日本語を教えるのもそうです。私は日本語教師になってから学生の身分になっていたことがあり、その間アルバイトでしか日本語を教えることが出来ませんでした。そのアルバイトもなかなか見つからず、チャンスもなく、教えたくても教えることができない状態だったことがあります。そうなって初めて、日本語を教えることが、学習者との時間が私の生きる活力になっていると知ることができました。だから、私は一生教壇に立っていたいのです。

そして最近、気づいたことがありました。
それは家事。自分でもびっくりです。
私、家事きらいだと思ってました。面倒くさいし、疲れるし。エンドレスだし。
以前も毎日やってたわけじゃないんですが、「全然やらなくていい」という環境になって初めて、「ああ、私、家事好きだったんだ」と気づきました。

例えば掃除。
めんどうくさいですよね。
でもやらなくていい環境になると、あの掃いたり拭いたりしてきれいになったあとのさっぱり感を感じたくなるんです。
人にやってもらっても、きれいなものはきれいなんですが、なんかちょっと、何かが足りない感じ。
あれはやっぱり自分の体を動かして、自分の目で見てきれいにすることで感じられる快感なんじゃないかと思うのです。

洗濯も同じ。
洗いたいタイミングで、好きなように洗って、好きなように干す。
洗いあがった洗濯物を干す時の、あの「洗ってきれいになったよ!」という感じ。
すっかり乾いた洗濯物の「いつ着てもいいよ!準備OK!」と言われている感じ。

そして料理。
もちろん、作ってもらって食べるのも大好きで、有難くいただいています。
でも時に、「ああ、アレが食べたい・・・」「こんな味付けで食べたい・・・」って思うことありますよね?
スーパーに行って、今自分は何が食べたいかな~と自問自答したり、売られている食材に「あ!これおいしそう!」と心惹かれたりするのも楽しいですし、そして何より、食べたいものを、食べたいように調理して、出来上がったものを食べる時のあのちょっとした達成感。心も体も喜んでいる感じ。
調理の時間も、ひたすら食材をみつめ、洗ったり切ったり、「おいしくな~れ」以外なーんにも余計なこと考えない時間。

そういえば誰かが言ってました。
売られている出来上がったものを買うのは楽だけど、日本人はわざわざ面倒くさいことを「自分でする」ことに楽しみを見出す人種だと。
だから、たとえばわさびも自分で下ろしたり、最中も自分であんこはさんで食べたりするのが人気だし、陶芸の絵付け体験や果物狩りも人気。
うーん、面倒くさいの嫌いですが、まあそう言われればそうなんですかね。

話を戻して、今日は「久しぶりに料理したーーい!」と心が叫んだものですから、スーパーに買い物行って、料理しました(^^)
明日から午前クラスが始まるので、これからお弁当持っていくことにします。
ストレス発散~~☆


他と比べることで気づけるならまだいいのですが、それがなくなって初めてその大切さや素晴らしさが分かることって多いですよね。でもなくなったらそれきり戻ってこないものもあり、後悔する場合もあります。なので、それを失う前に気づけたら、どんなにかいいですよね。
それにはやっぱり、「今ここにあるすべてのもの・ことが有難い」ことに気づき、感謝し、幸せを感じることが後悔しない一番の方法かな、と思ったのでした。





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2016年1月2日土曜日

本気かどうかは○○に現れる

旅行記事、アップしました。


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昨日の今日で、早速気を引き締めさせられる記事に出会いました。
最近、ベストなタイミングでベストな出会いがあることが本当に多い!

昨日新年の抱負を公言したわけですが、本気でそれを望んでいるかどうか、真剣かどうかは行動に現れる、そうです。

言われてみれば本当にそうで、口では、言葉では、いくらでも言うことができますよね。
でも、それが行動となって現れるにはそれだけ強い動機付けがないと無理なわけで。
「言ってることとやってることがちがーう!」なんていうとき、行動の方が真実なんだそうです。

うわ・・・。
思いあたるふし、たくさん。

痩せたいといいながら、運動せずダラダラ。ビール飲みながらカロリー高い物食べたり。つまり本気で痩せようとしてないってこと。
スペイン語勉強したいといいながら、忙しいとか疲れているとか言い訳してしなかったり。そういえばスペイン語の朝活、いつの間にか消えてます・・・
そういえば、スクワット&プランクも、旅行をはさんですっかりしなくなっているし。
例えば私を好きだ!っていう男性が現れたとして、その人がいくら甘い言葉を言ってきたとしても、私をどう扱うか、私にどういう行動をとるかで本心がわかる、なんてバローメータにもなります。(パートナー探し中なもんで、妄想)
学生だって、「日本語の勉強好き!上手になりたい」と口では言っても、全然宿題やってこない姿を見ると「口だけだな」ってわかりますもんね。


昨日書いた新年の抱負が「言っただけ」にならないよう、心引き締めて、ちゃんと行動に移していこうと思ったのでした。





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2016年1月1日金曜日

謹賀新年2016

みなさま、2016年明けましておめでとうございます。
当ブログを訪問してくださった方、直接お世話になった方、本当にどうもありがとうございました。
本年も常に感謝の心を持って、日本語教育に、生活に、旅に、その他諸々に、精一杯がんばっていきたいと思いますので、暖かく見守ってくださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに年越しはお宿桜子にて迎えました。
BBQパーティーの後、360度打ちあがる花火を屋上から眺め、黄色いメガネをかけて自分も花火をしました。
ペルーでは黄色い物を身に着けて新年を迎えると幸運が訪れると言われていますので。
初めてペルーで迎える新年、とても思い出深いものとなりました。

そして、おせちもお雑煮もないので、元旦のご飯にはとっておきの納豆に、庭で採れた復活したシソを入れていただきました。
もんのすごくおいしくて、ありがたくて、今年はきっといい一年になることでしょう。

さて、「一年の計は元旦にあり」ということで、昨年中もちらっと書きましたが、今年達成したい目標を備忘録として以下に記しておきます。

・テーマは「拡」
 仕事の幅→自分で制限をかけない。期待以上の仕事をする。研究と実践の両立(できれば研究会で発表)。
 学習者数→登録学習者数150人以上!
 給料UP →上記が達成できれば、こちらも可能。
 人間関係→いろんな機会にいろんなところへ顔を出し、人とのつながりを拡げる。
 行動範囲→一人で行ける場所、できることを増やす。今まで行ったことのない場所を訪れる。
 語学  →スペイン語のレベルアップ。言いたいことが言える、伝わるように。正しく言える・聞けるように。
 人間としての器→もっと深く大きくしたい。

・生涯のパートナーを得る
・内外ともに美しく、安定、充実する
・ヨガの「ヤマ・ニヤマ」の生活での実践、難易度の高いポーズへの挑戦


1年後、どういう結果になっているか楽しみです☆
では、今年もどうぞよろしくお願いします(^^)

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旅行記事アップしました







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2015年12月30日水曜日

年の瀬っぽくない

旅行記事、アップしました。


年内中に全部アップはできそうにないです(^^;)
でも、ゆっくりでもいつかアップしますので。。。

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さて、年の瀬なのですが、今年の振り返りはもう11月中にしてしまったので(興味ある人はこちら)、今日は来年へ向けてさらに最近考えたことを備忘録として書いておきます。

・10年後自分はどうなっていたいかを想像して、今できることをやろう。
・地味で変化のないように見える毎日でも、物事は着実にいい方に変わっていると信じて、「今ここ」を大事に生きよう。
・全てはベストなタイミングにベストな形でもたらされる。機が熟すそのときまで、焦らないで待とう。
・全てに感謝。小さな幸せをたくさんみつけて大きく喜び、いつもハッピーな気持ちでいられるようにしよう。
・ヨガの「ヤマ・ニヤマ」を生活の中で実践していこう。
・自分にも周りの人にも精一杯の愛を注ごう。


今回の年末年始の思い出はオフィスの改装工事ですね。
明日の大晦日も、年明け2日も工事があるので、様子を見に行きます。
最初は「鍵の開閉のためだけに行くのは面倒くさい」と正直思っていましたが、自分たちの学校のために業者さんがギリギリまで働いてくれているんですから、「それぐらい文句を言わずにさせていただこう」と思えるようになりました。
歩いて往復するとトータル1時間半ぐらいになるので、いい運動にもなりますし。
こういうふうに考えられるようになった自分が、とてもかわいく思えます☆

みなさんは、どんな気持ちで、どんな年末をお過ごしですか?





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2015年12月27日日曜日

今回の旅、一言で言うと「一期一会」でした。

今朝8:00、無事にリマに到着しました。

なんてったって今回はケータイなしの旅でしたから(くわしくはこちら)、1週間もデジタルデトックス、ネットなしですごしたので、オンタイムでのアップは出来ませんでした。

ということで前後してしまいますが、旅の記事についてはこれから順次アップしていきます。
日付は旅行した日付でアップしていきますので、書いている日と実際の旅行日は違いますがあしからず。

今回の旅行、まさに「人との出会い」「一期一会」という言葉がぴったりなぐらい、行く先々でいろんな人に出会い、助けてもらい、その時しか味わえない楽しいひと時を過ごすことができました。彼らとの出会いがなかったら、こんなにも楽しく充実した旅にはならなかったと思います。
一人旅でしたが、今回は私は一人で旅をしているんだということをほとんど感じませんでした。
一人旅だったからこそ、話しかけてくれてたのかもしれませんが(笑)

たまたま同じ日に、同じ場所で、同じ乗り物に、いた人たち。
これは偶然なのか、必然なのか。
もうきっと二度と会うことはないでしょうが、私にとってその方々との出会いは今回の旅になくてはならないものでしたので、会うべくして会った、と思っています。
お互い、楽しい時間を共有するために。

いつも旅ではいろんなことを考えるのですが、今回は「一人で考えにふける」時間はほとんどなく、次から次へと起こる出会いに「またすごい人と出会った!」「なんで今回はこんなに出会い続きなんだ?」と出会いや一期一会の不思議さを感じる旅でした。

旅記事にもそれを盛り込んで書いていきますね。どうぞお楽しみに☆





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