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2016年1月24日日曜日

大きな成功、細部に宿る~日本一のエンターテイナーから学んだこと

最近の大きな話題と言えばSMAPの解散危機報道。
1月18日の生放送をネットで見てどうも解散はしないらしいと知るまで、毎日「どうなるんだろうね?」と友人と話していました。
熱烈なSMAPファンというわけではありませんが、彼らの番組はそれなりに見てました。
わりと同年代なので、彼らの活躍する姿(個人でもグループでも)に元気をもらっていました。

そして休みの今日、きっと解散を回避するためにファンがアップしたのであろういろんな映像やインタビューをゆっくり見ることができて、あらためて彼らのやってきたことはすごいな~と。
一人一人が「世界に一つだけの花」を見事に咲かせているし、もちろん5人集まってもすばらしい。
見えるところだけでもすごいのに、一流エンターテイナー、やっぱ見えないところでも一流。
今日初めて中居くんがライブのプロデュース(振りや音作り)を長いこと一人でやってきたということを知りました。
彼のライブやテレビに対する想いやこだわりを知って、心に響いたことがたくさんあったので、備忘録として書き記しておきます。
これ、ライブ・本番→授業、お客さん・みなさん→学習者、というように、自分の仕事に置き換えて言い換えてみると、本当に身が引き締まります。

・(中居君は)他のメンバーに見えないところで、何年も一人で(ライブの曲作りを)やっていた。
・ライブは結果。本番がよければその過程は正直どうでもいい。お客さんには関係ないことだから、別に明かすようなことでもない。
・ライブには正解がない。だからすっごい考える。
・ライブは、できるまでが好き。つらいけど。
・すべてはお客さんに喜んでもらうために。
・ハンパなモノを作ってもハンパなモノしか残らないのならば、なにかみなさんの記憶に残るモノを。ちょっと限界に挑戦しよっかと。
・自分にはどれだけのハングリー精神があるのか、ちょっと自分で自分を試したくなった。
・基本は自分たちが楽しいとか楽しみたいとか自分たちが面白いもの、というよりも、とにかく見ている人が「やっぱ面白いな」って思ってもらえるようなもの
・このままステージでぶっ倒れたら、これ本望かもって一瞬頭よぎった。
・いいモノ作ろうと思うと、もう本当にキリがない。
・自分はそう思ってないけど、周りみんなが「細かい」って。一秒差にこだわるのは、やっぱ細かいかな。
・見返りとか評価とか手柄とかばっかりを追い求めていたら絶対足並みがそろわなくなるから、私利私欲なく、とにかくいいモノ作るためにがんばりましょうと。
・「大きな成功、細部に宿る」。とにかく細かいところまで詰めてやる。細かいところができなくて全部がざっくりになっちゃうと、どうしてもゆがんでしまうから、やるにはしっかり根拠がないとおかしいわけで。根拠が濁るということは結果も濁って、結果が濁るということは全体的に全部フォーカスがぶれてしまう。だから細かい根拠と説得力がある理由というのが1個1個大事になる。


中居君のすごいところは、マルチタレントですごい努力も苦労もしているのに、それを決してひけらかさないこと、そして他のメンバーや「SMAP」を心から尊敬していること、そして謙虚なこと。

私も「大きな成功、細部に宿る」を胸に、謙虚さを忘れずに、自分の仕事一つ一つに丁寧に取り組んでいきたいと思いました。






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2015年11月24日火曜日

人の可能性無限大(infinito)

今日のヨガで先生がおっしゃった言葉がジーンと来ました。

今日初めてイエンガーヨガをされた生徒さんが「パワーヨガよりキツい!これがイエンガーヨガなの?」とコメント。
それに対して先生は「イエンガーは動きは少ないけどmuy intenso, muy exigente(とても強くて,たくさんのことを要求する)なの。先生にもよるけど、さらに私の場合はそこでおわらせないで、もうちょっと、もうちょっと(un poquito más, un poquito más)とその人の限界を求めるの。だって人の可能性は無限大(infinito)なのに、現状維持だったら何ものびないでしょ?un poquito másの積み重ねが限界を拡げ、予想もつかなかった自分になるかもしれないじゃない?」

確かに先生は厳しいです。
厳しいというのは、妥協しない、求めるレベルが高いということです。
でもお人柄は明るく、愛を持って指導してくださっているのが伝わってきます。例えば、ヨガの先生は生徒の名前を覚えなくてもクラスができますが、この先生は生徒の名前を覚えて呼んでくれるんです。
名前なんて些細なことに思えるかもしれませんが、でもそういうところに人柄?人間性?って出ますよね。
確かにいつも「momine, un poquito más」って言われますし、姿勢とか角度とか何度となく直されます。
気を抜いたら一発で見抜かれるし、翌日筋肉痛にならない日はありません。
でも、「un poquito más」にそんな壮大なお考えがあって、夢を持って私たちを指導してくださっていたことに感動してしまいました。

「可能性無限大」はよく子どもには使いますが、いい大人、しかも仕事を大分前にリタイアしたような年齢の人に対しては使いませんよね。少なくとも私はそういう指導者を見たことありませんでした。

でもその先生は「いくつになっても人間には無限の可能性がある!」って信じて、その人にとっての限界に挑ませているんです。ヨガを長年やっている人にはちょっときつめの、おばあちゃんにはおばあちゃんに合ったなりの今日のその人の限界への挑戦。

なんか、この歳になってもそんなこと言ってもらえるなんて、嬉しくないですか?
自分の可能性とやらを信じて、どこまで行けて、どう変われるのか知りたくなりませんか?

私はなりました(^^)

そして、自分の教え子たちも同じように「可能性無限大!」って信じて指導しようと決めました(^∇^)
私もいつか学習者に「あなたたちの可能性は無限大だ!」と言ってあげたいです。

2015年11月22日日曜日

自分以外はみんな異文化

意外と盲点です。
教科書やりながら思ったこと、今まで得たことの備忘録です。

自分の「普通」「当たり前」は、ほかの人の「普通」「当たり前」ではありません。
自分がAと感じるからといって、ほかの人も同じように感じるわけではありません。
ですから、自分が望む反応をほかの人に期待するのはやめましょう。
期待が裏切られて、イライラしたりがっかりするのは自分です。

自分の価値観だけでその人の「その時の行動」を判断してはいけません。
その裏にどんな事情があるのか、知らないのですから。

自分とほかの人、どちらが「正しい」「間違っている」かなんて、ありません。
したがって、自分が自分基準で「自分は正しい」と思うことを人に押し付けても、人はそう思っていないので変わりません。
人を変えるなら自分を変えたほうが簡単です。それが「包容力」というものです。
人が変わるには、その人自身が気づいて自らそれを本気で欲することでしか変わりません。

人の気持ちや考えは、自分にはわかりません。だから知る努力や、理解する努力や、察する努力が必要です。

「思いやり」とは「自分がされて嬉しいことをする」のではなく、「相手が望むことをする」ことです。
だからといって、相手に合わせて自分をないがしろにしてはいけません。
自分を大切にして幸せにできるのは自分だけです。

2015年10月2日金曜日

自分の軸って何ですか?

こないだとあるブロガーさんの記事を読んでいて、投げかけられたこの質問。

「あなたが生きていく上で、軸となるものってなんですか」

今までわりとこういう系はスルーしてしまっていたのですが、なんとなくひっかかって、真剣に考えてみることにしました。


私はいつからか、生きていく上で一つ決めていることがあります。それは
「死ぬとき後悔しないようにすること」

人間、いつ死ぬかわかりませんからね。
たとえ明日、いや、今日、突然事故や心臓発作などで死んでも後悔しないように、今できるベストな状態でいたいと思っています。


やらないよりはやったほうがいい。
心配や不安よりもワクワク・ドキドキ、まだ見ぬ世界を見てみたい。
そのためにできる努力はしたい。
がまんしたくない。
いつも全力で生きていたい。
いつも幸せを感じていたい。


そういう視点で言えば、日本語教師という仕事は、本当に私にぴったりなんです。
世界をさすらうことができるので、「いろんな世界が見たい」という好奇心が満たされています。
異文化にいるので、いつもドキドキ・ワクワク。
外国人の学習者とのふれあいも驚きの連続でドキドキ・ワクワク。
外国をさすらうために、大学院にも行ったし、語学も(それなりに)がんばっています。
魅力ある教師になりたいので、いろんな本を読み、体にいいものを食べ、常に笑顔を意識し、内側から輝けるように努力しています。
同じことを何回も教えていても、学生が違えばいつも同じようにはいかないので、終わりがなくてあきません。
日本語の奥深さを知ったり、教えるスキル向上のための実践研究で、知的好奇心もいつも満たされています。
苦労や努力が「大変だ」と思わないで自然とできます。

そして何より、学習者のキラキラパワーは私に胸キュンと元気とエネルギーをくれます。
だからいつも学生と一緒にいたい。
学習者のキラキラした笑顔が見たい。
それは私を細胞レベルから元気にし、幸せで満たしてくれるから。
だからできれば死ぬまで教壇に立っていたい。
学習者の笑顔を見続けることが私の幸せ。
そのために必要なことならば、なんだってするつもりです。

なんだかまとまりがなくなってしまいましたが、私の軸になるものって、もしかしたら「日本語教師」なのかもしれません。
私から「日本語教師」をとったら、何が残るのでしょう?
学習者とのふれあいがなくなったら、イキイキとは生きていけないかもしれません(ホントに)。

あとはヨガ生活ですかね。心も体も持ち物も余分をそぎ落として必要なものだけでシンプルに人生という旅を続けたい。


職業が軸になるなんてどうなん?と思いましたが、私は日本語教師は天職&ライフワークだと思っているし、だから今ここにいるんだし、認めてしまえば、この軸、私にはしっくりくるもののようです。