それがなくなったり、他と比べてみたりして、それがいかに大切だったか気づく、というか。
たとえば、海外に住み始めてから、日本がどれほどすばらしい国か、気付けました。
なんだかんだ言ってやっぱり安全ですし、品質がいいものが安く売られ、キラキラしています。
日本食は健康的だし、皆保険制度でみんなが安く医療が受けられるし、だれでも子どもに最低限の教育を受けさせることが出来ます。
家族と離れて暮らして、そのありがたみをかみしめています。
どれほどの支え、癒し、希望になっているかわかりません。
例えば友人や同僚や恋人。いつも一緒にいるのが当たり前になっている関係も、その人がいなくなったり、他の人の登場で、その人の素晴らしさや自分にとっていかに大切な人だったか、いかにしっくりきていたかがわかる、といいますか。
することもそうです。
ヨガができない状態になってはじめて、自分の心身にとってなくてはならないものだと気付くことができました。
それに気づけてから、朝早起きしたり、夜遅く帰っても寝る前の時間を利用したりして、時間を作ってヨガをしています。
日本語を教えるのもそうです。私は日本語教師になってから学生の身分になっていたことがあり、その間アルバイトでしか日本語を教えることが出来ませんでした。そのアルバイトもなかなか見つからず、チャンスもなく、教えたくても教えることができない状態だったことがあります。そうなって初めて、日本語を教えることが、学習者との時間が私の生きる活力になっていると知ることができました。だから、私は一生教壇に立っていたいのです。
そして最近、気づいたことがありました。
それは家事。自分でもびっくりです。
私、家事きらいだと思ってました。面倒くさいし、疲れるし。エンドレスだし。
以前も毎日やってたわけじゃないんですが、「全然やらなくていい」という環境になって初めて、「ああ、私、家事好きだったんだ」と気づきました。
例えば掃除。
めんどうくさいですよね。
でもやらなくていい環境になると、あの掃いたり拭いたりしてきれいになったあとのさっぱり感を感じたくなるんです。
人にやってもらっても、きれいなものはきれいなんですが、なんかちょっと、何かが足りない感じ。
あれはやっぱり自分の体を動かして、自分の目で見てきれいにすることで感じられる快感なんじゃないかと思うのです。
洗濯も同じ。
洗いたいタイミングで、好きなように洗って、好きなように干す。
洗いあがった洗濯物を干す時の、あの「洗ってきれいになったよ!」という感じ。
すっかり乾いた洗濯物の「いつ着てもいいよ!準備OK!」と言われている感じ。
そして料理。
もちろん、作ってもらって食べるのも大好きで、有難くいただいています。
でも時に、「ああ、アレが食べたい・・・」「こんな味付けで食べたい・・・」って思うことありますよね?
スーパーに行って、今自分は何が食べたいかな~と自問自答したり、売られている食材に「あ!これおいしそう!」と心惹かれたりするのも楽しいですし、そして何より、食べたいものを、食べたいように調理して、出来上がったものを食べる時のあのちょっとした達成感。心も体も喜んでいる感じ。
調理の時間も、ひたすら食材をみつめ、洗ったり切ったり、「おいしくな~れ」以外なーんにも余計なこと考えない時間。
そういえば誰かが言ってました。
売られている出来上がったものを買うのは楽だけど、日本人はわざわざ面倒くさいことを「自分でする」ことに楽しみを見出す人種だと。
だから、たとえばわさびも自分で下ろしたり、最中も自分であんこはさんで食べたりするのが人気だし、陶芸の絵付け体験や果物狩りも人気。
うーん、面倒くさいの嫌いですが、まあそう言われればそうなんですかね。
話を戻して、今日は「久しぶりに料理したーーい!」と心が叫んだものですから、スーパーに買い物行って、料理しました(^^)
明日から午前クラスが始まるので、これからお弁当持っていくことにします。
ストレス発散~~☆
他と比べることで気づけるならまだいいのですが、それがなくなって初めてその大切さや素晴らしさが分かることって多いですよね。でもなくなったらそれきり戻ってこないものもあり、後悔する場合もあります。なので、それを失う前に気づけたら、どんなにかいいですよね。
それにはやっぱり、「今ここにあるすべてのもの・ことが有難い」ことに気づき、感謝し、幸せを感じることが後悔しない一番の方法かな、と思ったのでした。
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