2015年7月26日日曜日

一人旅で考えたこと

一人旅が好きです。
自分の好きなタイミングで好きなように好きなことができるのはもちろん、自分の考えをまとめたり、いろんな出会いから新たな発見を得たり、深ーーくいろんなことを考えることができるからです。

今回の旅の間に考えたこと・気づいたこと。

まずは、「受け入れる」ということ。
アンデスの山々をぼーっと眺めているとき、「この山々は地殻変動によって生じたんだよなぁ。でも、無理矢理に形を変えられても文句を言わず受け入れて、今度は「山」として堂々とそこにいて、みんなに感動を与えているんだなぁ。どんな植物がそこに生えようと、どんな動物がそこに勝手に住み着こうと、そして、人が資源を奪ったり汚したりしようと、ただ黙って受け入れている。どんなことになっても、長い目で見ればそれを浄化できると知っているからかもしれない。または、諸行無常だということを知っているかもしれない。とにかくただ黙って「受け入れる」。これってすごいことだなぁ」と思ったんです。
人は好き・嫌い、いい・悪いと、すぐに判断してしまうもの。そうではなく、判断せずにただその状況や変化を受け入れるだけって、なかなかできないですよね。特に外国で生活していると、自分の思った通りに行かないことばかりだし、すぐに「だからこの国(人)は~!」と言いがち。でも、これからは心を大きく余裕をもって、とりあえず「受け入れ」てみようと思います。

そして、「夢を叶えさせてもらった人は、その分責任がある」ということ。
ちょうど「天皇の料理番」の最終回を見たばかりということもあるかもしれません。
私は長年マチュピチュに来たかったことは、2015.7.22「二日目はいよいよマチュピチュだ!」 でも書きました。そして、その夢を叶えました。FBで写真をアップし、たくさんの
人から「いいなー」とか「私も行きたい!」などのコメントをいただきました。そのとき、ふと、「誰でも夢を叶えられるわけじゃないんだ」と思ったんです。金銭的なこと、時間的なこと、家族など、ちょっと考えてもマチュピチュに来るというのは簡単なことじゃありません。
いますぐは無理だとしても、果たして私のようにいつか夢を実現できる人というのは、実はそう多くはないのではないでしょうか。

仕事にしてもそうです。私は日本語教師という天職に運よく巡りあい、運よく転職もでき、運よくここまでやってこられました。海外で働くときも運よく採用されたり、ペルーに来られたのも運よくお誘いがあったからです。家族をはじめ友人、恩師、同僚、その他大勢の方の理解や協力、支え、励ましの言葉などがなければ、私は夢を叶えることができませんでした。つまり、みんなに「夢を叶えさせてもらった」んです。そして、どんなに望んでも夢が叶わない人もいるわけで、だから夢を叶えた人は、その分責任があるのではないかと。
それは「きちんと成長して生きること」。たとえば、マチュピチュに行って、きれいだったなぁ~で自分一人で終わるんじゃなくて、写真を紹介したり、きちんと知識を得、理解を深めたりすること。仕事なら、すぐにやめてしまうのではなく日本語教師であり続けること。もっと言えば、妥協せずに成長し続けること。そして、できればそれで何かしら社会還元、社会貢献すること。そんなことが夢を叶えさせてもらった人の「責任」だと思うんです。

よく、何かを成し遂げるより、その状態を継続する方が難しいと聞きます。夢を叶えさせてもらった人間は、それ相応の努力をして、その状態を継続させ自己成長して外部に向かって何事か成し遂げることが責任なんじゃないか、と思いました。

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